薩摩義士と踏破隊
江戸時代、徳川幕府の命によって宝暦治水工事を命をかけて木曽三川を守った薩摩義士。
薩摩義士が故郷の薩摩から取り寄せて植えたと言い伝えられている松。
老松と呼ばれている松の種から育った松。
その松が近年、松食い虫におかされて枯れてしまいました。
薩摩義士の偉業を後世に残すために枯れ松をつい立にしました。
 写真の上で順次クリックされると写真が変わります。
子供さんの顔はぼかしました。

/* (1) 薩摩義士の松でつい立制作  */
/*  (2) つい立贈呈式     */

/*  (3)薩摩義士の史跡   */

/*  (4)関ヶ原戦跡踏破隊  */


          関ヶ原跡突破隊とは慶長5年(1600年)関ヶ原合戦は東軍が勝利し、西軍諸藩が敵に背を向け敗走する中、
        唯一島津隊だけが家康本陣めがけて敵中突破する前代未聞の戦場脱出をしました。
        三日三晩200キロ走り堺港に着きました。
        これが島津の武名を天下に驚かせた「島津の退口」です。
        鹿児島では毎年10月、関ヶ原合戦の苦難を偲び「妙円寺参り」が行われます。
          昭和35年旧伊集院町の故窪田廣治氏が先人の残した壮誉を単なる祭で終わらせて善いのかと訴え、現地関ヶ原から大阪を
        突破したのがはじまりです。
        毎年、夏休み小中高校生が敵中突破の避退行をし、先人の武勇と剛毅に触れ又、多大の犠牲者を出した宝暦治水薩摩義士の
        墓参りもしています。

          昨年50回を迎え、記念に薩摩義士が植えられたといわれる千本松原の古木で制作しました「つい立・松毬で作成の「亀」と「蛇」
        を毎年参加の日置市伊集院小学校・妙円寺小学校に寄贈しました。